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伊自良大実柿の存在、そして柿渋文化とは!/加藤慶さん

柿渋を守っていきたい!

山県市地域おこし協力隊として愛知県尾張旭市から移住してきた加藤慶さん。以前はIT関係の仕事をしていましたが、「何かを形として残すことがしたい」という想いが強くなり、山県市地域おこし協力隊に志願しました。任期を満了した現在は、柿渋商品の製造・販売と合わせて、柿渋染め体験ができる「柿BUSHI」を運営しています。

山県市伊自良地区では、冬になると家の軒下に干し柿が吊るされます。伊自良大実柿(いじらおおみがき)という渋柿でつくる干し柿は「連柿」と呼ばれ、皮をむき竹串に3つ挿したあと、藁で10段編むという方法で作ります。横一列に並ぶ3つの柿は、親、子、孫を表しており、家族を大切にする想いが込められているそうです。

連柿の話をしている中で加藤さんが見せてくれたのは、柿をむく専用のカンナ。地元で暮らす80代のおじいさんが手作りしたものです。伊自良大実柿の皮を薄くむきやすいように考えられたカンナは、この地の連柿つくりを支えています。

「このままでは歴史ある伊自良大実柿や柿渋文化が消滅してしまう。広めることより守っていくことの方が重要なんだ」と、加藤慶さんはこの地を選んだ理由を話してくれました。

柿渋染の商品を生み出す

現在1000本ほど残っている伊自良大実柿は約半数ほど生産者の方が管理しており、その一部を柿渋用に使用しています。収穫前に行う草刈りはなかなかの重労働。「この草刈りの作業は何日もかかり大変ですが、実はとっても爽快なんです!」と加藤さんは楽しそう。柿のタンニン濃度が強い時期である8~9月に青柿ちぎりを行い、その後、収穫した青柿は加工工場に依頼し、3年から5年後に熟成された柿渋となり戻ってきます。昨年は青柿が7トンほど採れ、その40%が柿渋になりました。


「柿BUSHI」の2階には、柿渋で染めたストール、バッグ、小物類が並んでいます。明るめのオレンジ系や中間色、シックなグレージュ、墨黒系の柿渋カラーで統一され、とても温かみのある品揃えです。他にも、柿渋で先染した糸を使って生産した抗菌ふきんやてぬぐい等があります。手にとった時から馴染みのある質感があり、繰り返し利用することで愛着を抱かせるような品々が並んでいます。

今あるものを守りながら、季節の移り変わりを肌で感じながら活動しています。加藤さんは「地域あっての自分だから」といいます。この地域の方との交流を大切にしながら、これからもこの地域で柿渋染めを続けていくことでしょう。

※2024年8月YAMAGATA BASE HPからの移管分