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山県市で暮らす無鑑査刀匠 尾川兼國さん

「始めは炭切りから」

山県市の住宅地の中に、無鑑査刀匠 尾川兼國(おがわかねくに/本名:尾川光敏)さんのご自宅兼仕事場があります。「無鑑査」とは現代刀職展(旧新作名刀展)という刀鍛冶が競う展覧会に出品した作品の数々において、別格の腕前を認められた称号であり、刀鍛冶における最高クラスの資格のことです。1958年(昭和33年)に初の取得者が出てから、2017年(平成29年)までの間に「無鑑査」資格を取得した刀匠は、わずか37人という狭き門となっています。

尾川兼國さんが、刀鍛冶の仕事スタートしたのは33歳のとき、遅いスタートだったといいます。兼國さんの父親は初代尾川兼圀氏。父である尾川兼圀氏は武芸川町の日本刀鍛錬所で、 世界に名を馳せる名刀を作り続けた刀鍛冶。「無鑑査」に認定された刀匠です。

2代目「おがわかねくに」を引き継ぐも、父の「圀」とは漢字を変え尾川兼國としました。兼國さんは、刀鍛冶を始める前、20歳の時に神奈川県で就職しガラス施工の一級技能士となりしばらく働いていたのですが、その後、岐阜に戻ることになります。当初は、刀鍛冶をはじめることは考えていなかった兼國さんでしたが、次の仕事を探しているときに父親から、時間があるなら炭切りを手伝ってくれと頼まれます。それが、兼國さんの刀鍛冶としての仕事の始まりでした。

鍛錬をかさねて

「炭切り3年、向こう鎚(つち)5年、沸かし一生」という言葉があります。それは手作業を通して仕事の感覚や間合いを覚えることです。作業に応じた大きさに炭を切り揃える動作は、何万回も刀をたたいていくための手首の鍛錬も兼ねていたのです。約1.5センチから2センチ角の炭は鋼を赤める燃料となり鋼を沸かすために使います。兼國さんは延々と炭切りを続けていました。ひたすらに続けていく作業の中に、何か感じるものがあったそうで、「父はなんでもやらせてくれました。多分失敗すると分かっていてもあえて。それは体感することで会得していくのだという思いなんでしょう。そして父はすべてを私に伝えてくれました。遅いスタートの私のことを考えてくれたんでしょうね」と兼國さん。

「父とは様々な事を語りましたし、柔軟な吸収力で遠方の勉強会にも積極的に参加しどんどん新しいことに追究していく父の真摯な姿は今でも忘れられません。そんな父は最後まで炭切りをしていました。」炭切りは刀を作る上で、初心に返る為の大切な作業です。如何に無駄なく良い仕事が出来るか、何年経っても試行錯誤なのだそうです。

日本刀の材料である玉鋼を、真っ赤になるまで熱し叩いて鍛え鍛錬していきます。叩くたびに散る火花は不純物であり、それをなくすためにも何度も繰り返します。鋼を折り返して鍛え 縦横と交互に折り返して鍛錬していくと幾重もの鋼の層が出来上がり 強くてしなやかな美しい日本刀が出来ていきます。ほんのわずかな狂いが刀をねじ曲げたり、肌割れを起こしたり気の抜けない経験と熟知が必要な職人技です。その刀に焼き入れのため、焼刃土(やきばつち)をぬっていきます。

体力勝負の鍛錬から刀の部分だけ薄く塗る土取り、繊細な作業になります。焼き入れをすると刀に模様が出来、これこそが「刃文(はもん)」となります。日本刀を鑑賞する際、最も目に付くのは刃文です。刃文は焼き入れを行う際、刀身に焼き刃土を塗ることによって現れます。刃文になる部分に焼き刃土を薄く、それ以外の部分には厚く塗って刀身を900度前後に温めて水で急冷し焼き入れを行います。これにより化学反応が起こり、焼き入れ温度などによって鋼が変化し、特に焼き刃土の厚く塗った所との境目に刃文の形が生まれます。兼國さんの作品の特徴といえるのが「濤欄刃(どうらんば)」と呼ばれる刃文で寄せては返す大波を思わせるダイナミックな美しさです。

日本刀一振りを完成させるには、兼國さんの所で短くても15日、長いと1カ月ほどの時間を要し、その後研ぎ師、はばき師、鞘師等各職人さんに受け継がれ時間をかけて日本刀が完成していきます。

伝統と匠の技を山県の子どもたちへ

兼國さんは現在、息子さん家族と同居しており、鍛錬所で刀を叩いているところに、小さなお孫さんたちが遊びにくるそうです。興味深々に見ていたり、同じように叩こうとしている姿を見ると本当に嬉しくなるそうです。兼國さんは、地元山県市の子どもたちにも、伝統と匠の技の日本刀作りを見てもらいたいと思っています。

「生涯現役で生きているかぎり刀鍛冶として全うしていきます。古刀を追求しつつ、いつしか自分の刀が後世古刀となるように」と兼國さんは静かにそして秘めた思いを持っています。父の背中を見、そして一緒に技を鍛えていった日々の大切さと、これからのことを思いながら、技術の精進と飽くなき追究をしていかれます。尾川兼國さんは、すばらしい作品をこれからも世に残していって下さることでしょう。

※2024年8月YAMAGATA BASE HPからの移管分