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ゆっくりと、しかし後戻りせず、信じる道を行く/川田マンドリン工房 川田 一夫さん

雷に打たれたよう」人生を決めた瞬間

山県市で生まれ育った川田さん。野山で遊びながら自然に囲まれて育ち、木を削ったり彫ったりする工作が大好き。高校時代は自分でギターを作って弾くほど、ものづくりは生活の一部でした。その後、岐阜大学へ進学しマンドリンクラブに入部しますが、ここでハマったのは演奏よりむしろ「楽器作り」。折しも東京でギター製作家が弟子を募集していると聞き、いてもたってもいられなくなったそう。「雷に打たれたみたいだった。生きる道が見つかったと思いましたよ」。両親の大反対を押し切り、大学を中退して22歳で上京しました。

ギター製作を学ぶうち、より人の手による作業が多く自由度の高いマンドリン作りに魅力を感じ転向。マンドリン製作家のもとで修業を重ね、地元へ戻って工房を開いたのは27歳のときでした。

ものづくりにゴールなし

独立するにあたって、名古屋のマンドリン専門店が川田さんの楽器を扱ってくれることになったのは「この上ない幸運だった」と振り返ります。大学時代のマンドリンクラブは同期だけで50人も所属するほど、1970年代の日本はマンドリンブームに沸いていました。「初心者でもそこそこ弾きこなせる手軽さが良かったのと、まぁ当時はギターやマンドリンを持ち歩く姿がすごくかっこいいと思われていたんだね」と懐かしそうに振り返る川田さん。注文は順調に増えました。最盛期は月に3~4本の製作に追われても、なお1年先まで予約で埋まっていたといいます。

マンドリンは実はギターよりもバイオリンに近い構造で、ボディとネックはカエデ、表の板はマツが使われます。川田さんはカエデの角材からネック部分を切り出すところから取り掛かります。「最初が一番楽しい。今度こそ最高の楽器を作るんだ、ってワクワクするから」。これは少々意外。ものづくりをする人は出来上がったときに幸福を感じるものかと…。「ところが私はね、40年以上やってもまだ満足の域に達していないんですよ。毎回完成に近づくにつれて『もっと良くできたのでは』と考えてしまう」。あくなき追求こそ、匠の職人の真髄なのだと思わされます。

「カタツムリ」に込める信念

演奏人口の減少にコロナ禍が追い打ちをかけ、ここ数年は受注も減少の一途です。しかし川田さんは「やっとやりたいことができる」と楽しそう。「これまでは価格帯に合わせて多くの商品を作る必要があり、手作りでありながら機械生産的な側面があった。でもこれからは企画に縛られず手工芸品として作ったマンドリンを、そのとき手に取った人が買ってくれるスタイルが可能になるかもしれません」。“規格品”ではなく“作品”。ものづくりが好きでマンドリン製作を志した川田さんが、長年夢見た一つの到達点です。

川田マンドリンの特徴の一つは、ヘッド部分のスクロール(渦巻き)。カタツムリをイメージした形状には、職人としての信条が映し出されています。「ゆっくりでもいい、後戻りせず前へ進め」。ボディの内部に貼られたラベルに描かれたトレードマークも、カタツムリ。川田さんの人柄がにじみます。

昔購入したマンドリンを調整や修理のために持ち込む人もいます。すると、よく弾く人のものほど音に深みが増しているとか。「新品の楽器は半完成品。残りの半分は奏者が育てていく」。作る人と奏でる人両方の手で作られるなんて、楽器には夢がありますね。

最近は「楽器を作りながら気が向いたら畑、たまに演奏っていう毎日」を過ごしている川田さん。リタイヤした同級生らとマンドリン手に集まることも、奥さんとのデュオで演奏会を開くこともあるそう。「都会に住みたいとは一度も思わなかったね。何もないけど山県はすばらしいところ」と話してくれました。

※2024年8月YAMAGATA BASE HPからの移管分