見出し画像

家族ぐるみで取り組む お客様ファーストの家づくり/野々村建設株式会社 野々村精三さん

昔ながらの手法で建てた木と漆喰の家

広いスペースの屋根付きの玄関アプローチ、その正面にある漆喰の壁には繊細な桜のモチーフがレリーフのように施されています。「実はこの家は次男の太樹がたった一人で昔ながらの手法で建てた木と漆喰の家(手造り)なんです」と穏やかな口調で話すのは野々村建設株式会社社長の野々村精三さん。自然素材の木と、いきもののように呼吸する漆喰の壁は室内の空気環境をきれいにする働きがあり、健康的に安心して暮らしていけるのです。

この家はモデルハウスとしてお客様に公開されていて、住みながらのモデルハウスには生活感があり細かな問題点にも気が付くことが出来るとの考え方です。お客様に建物の良し悪しを体感していただき住まいづくりに違う角度から着目いただけると大変好評なのだそうです。野々村建設株式会社さんが1番大事にしている『お客様と現場の距離を大切に』という会社のモットーと共通しており野々村さんの姿勢でもあります。

野々村さんは生まれも育ちも山県市です。兄弟が上から順に出て行ってしまい、子供心に将来誰もこの地にいなくなってしまう。三男の自分が、田畑を耕してこの地を守ってきたご先祖様に敬意を払いこの地を守ると決心しました。大工という職人の道を選び、仕事をしながら耕作し家族を養い、地域の付き合いもして暮らすその生活は睡眠時間を削り体重も減り必死だったそうです。そして一級建築士、宅地建物取引士等様々な資格を独学で学び取得しました。

野々村さんは背負っているものに対して身を粉にして働き『ここを超えれば自分の夢が叶う』という思いで、創業46年になる野々村建設を築きあげました。「もちろん周りの協力あってのことです。生きることは24時間働くことだと子供達に常々言っています。『絶対に諦めない!どんな境遇にあっても感謝の気持ちを忘れない。そして常に自分で自分をみつめ直す』それは野々村家の家訓となっています。」と話す野々村さん。

山県市をもっと住みよいまちに!

モデルハウスをたった一人で建てた太樹さんは高校を卒業後郡上八幡で大工の修行を為し、一級建築大工技能士を取得しましたが体調を崩したことをきっかけに、家業の野々村建設株式会社に入りました。モノ作りが大好きな太樹さんは大工経験が豊富で現場を知り尽くしているので単なる営業ではなく的確なプランニングが出来、お客様のお役に立てるように誠心誠意応えています。

家を建てるときに出る端材で、棚とかコースター等の作品をつくりマルシェなどで販売し会社の広報も兼ねています。作品等は県産材の紹介を兼ねて『地産ぎふの木で作成しています。材質は柔らかく温もり感があり、肌触りがやさしいのが特徴です』と説明を聞いたとき、野々村建設株式会社の木に対する思いが感じられました。太樹さんは自社だけではなく山県市全体が良くなればという気持ちが強く、プライベートの時間にも様々なことにチャレンジしています。例えば、山県市の空家対策の為のリノベーション企画、「山県市名古屋からのアクセスが良く、とても便利です。今後も、今の職種を生かし、リノベーションワークショップやぎふの木を使ったイベントを通して山県市の良さをアピールしたいですね。それと森林、川、山、鮎、蛍なども知ってもらいたいです!」と話す太樹さんの姿はこの地を守るというお父様の姿と重なります。

すべてはお客様の為に

野々村家には、そんな教えを受けた3人の息子さんがいます。長男の亮蔵さんは一級建築士として設計と現場監理を主として、次男の太樹さんは宅地建物取引士、ファイナンシャルプランナーとして「思いを形にしたい」と願うお客様の為に、夜昼なく奔走してます。又一級左官技能士の資格を持つ三男の諭さんは左官アーティストとして。3者3様家族ぐるみで野々村建設株式会社を守っています。そんな息子たちに現場を任せることも増え、最近では現場で大工仕事をする機会はあまりなくなった野々村さんは、今38年ぶりに道具を握り、三男の家づくりで本格的に大工仕事をしています。収まりを考え自分の手で加工し造作をする事が楽しくて仕方がない様子。今回の大工仕事は思う存分自分の思いのままに造っていきたい気持ちが溢れています。

野々村さんの生きざまを肌で感じ目の当たりで見ていた3人の息子さん達は「トライアングルの形」で野々村さんの志を引き継ぎ、それぞれに進化させています。その姿を野々村さんは温かく見守りながらこの地をもっと良くし守って行きたいという思いと、自身の仕事を全うしていく意気込みでいます。

※2024年8月YAMAGATA BASE HPからの移管分