現在は廃校レストラン、北山小学校のむかしばなし。
山県市北山地区、農家レストランへ
岐阜駅から車で山県市へ。開けた農場地帯から林道へ入ると車の台数は徐々に減り、雲が間近に見えました。沢の音に引き寄せられるように目を向けると、豊かに流れる清流が。遠目に見ていても、水の色に心が浄化されるようでした。「舟伏の里へ おんせぇよぉ~」は、林道を車でかなり登った山奥にあります。
「おんせぇよぉ~」とは、「いらっしゃい」の意味だそうで、暖簾をくぐると黒板や掲示物に歓迎のメッセージ。手作り感たっぷりの出迎えと、学校という建物の懐かしさで、不思議と初めて訪れた気がしませんでした。ここは旧北山小学校のランチルームを利用したレストランで、地元のお母さんたちが地元の食材を使って作った季節のお料理を楽しむことができます。
北山小学校の思い出
今回は、お母さんたちと触れ合いの時間を持つことができました。
「最近は子供達の暗いニュースが多くて嫌ねぇ。」
そんな世間話から始まり、昔話へ。
昔は雪も沢山降ったそうです。大人の背丈を越えるような豪雪でも、子供達はみんなで雪を踏み、一歩一歩進みながら時間をかけて学校へ向かいました。
川を渡る時はみんなで列になり、流されないように気をつけながら手をつないで渡ります。上級生は下級生の面倒を見、危険な環境でも大人が手を出すことはありませんでした。そうやって、日常に潜む危険や、痛み、苦しみ、それは子供達が自主的に日常の中から学んでいたのですね。
「今はみんな木が植えられているけれど、昔は畑だったのよ。あそこも、あそこも。」
現在は林業が中心の北山地区も、以前は農業が主でした。子供達は学校が終われば家の手伝いをする。それが当たり前の生活でした。ストーブの燃料になる薪は、授業の一環で子供達が自ら山へ集めに行きます。当時は1学年で70~80名の児童が通っていたという北山小学校の生活。みんなで協力しあった賑やかな学校生活が目に浮かびます。
1997年に廃校になった当時の校舎は鉄筋の建物ですが、お母さんたちが子供の頃は木造の校舎だったそうです。教室を出て少し校舎を歩いてみました。
「こっちに中学校があってね、そう、こっちは保育園!」
小学校の敷地内も、様々な変化があったのですね。
子供の頃から身に付いてた自給自足
当時の北山小の子供達のお弁当は大抵お米と梅干しまたは切り漬け(漬物)のみ。冬はだるまストーブで温めて食べました。温めると切り漬けの独特な匂いが教室に広がります。給食のおばさんが、粉乳を溶かしたものを配ってくれるほか、それぞれが持ち寄ったお野菜でお味噌汁を作ったりしました。そんなお母さんたちが、今、農家レストラン「舟伏の里へ おんせぇよぉ~」で美味しいお料理を作っています。
なるほど、子供の頃のこうした経験から、この土地にあるもので作っていただく、という習慣が身についたのかもしれません。そんな北山地区に根付いた食材と心、ここから巣立っていった卒業生たちにとって大切な場所になるのと同時に、北山に所縁のない人々にとってもどこか懐かしく愛おしさを感じすにはいられないでしょう。
昔話は尽きません。
いつの間にか青空になった北山の空の下、兄妹だという正道さんと一美さんは、北山小学校に通っていたあの時と同じように手をつなぎ、少しはにかみながら帰って行きました。
※2024年8月YAMAGATA BASE HPからの移管分