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美山地区神崎でつなぐ雨乞い太鼓 / 保存会 臼田廣一さん

和太鼓が鳴り響く北山ふるさと祭り

ドンドンドン!!山県市の、美山地域神崎地区の公民館から和太鼓が響きます。太鼓は、雨乞いをはじめることを村人に知らせる呼びかけの合図。横笛や鐘の音を鳴らしながら、北山雨乞い太鼓と雨乞い踊りの練習がはじまります。岐阜県山県市の重要無形民族文化財に、指定されている北山雨乞い太鼓・雨乞い踊りを未来につないでいくために、大切に守っている保存会があります。

現在、保存会には20名ほどのみなさんが参加しており、それぞれ、笛や太鼓をあやつります。メンバーには昔から続けているお父さんたちだけではなく、小さな子どもさんといっしょに参加している家族もあり、子どもたちが真剣な表情で、太鼓や笛に取り組んでいる姿はとても頼もしいものでした。神崎にある北山交流センターで「北山ふるさと祭り」が9月に開催されます。18時30分から21時過ぎまで行われるお祭りでは、保存会のみなさんが雨乞い太鼓や雨乞い踊りを演じたり、地域のみなさんがいっしょになって盆踊りをしたりしながら楽しく過ごします。

保存会のはじまりは昭和40年代

北山雨乞い太鼓と雨乞い踊りは「おくり太鼓」という、村人に雨乞いをすることを知らせる行進の曲からはじまります。その後「3つの拍子」があって、「けつたたき踊り」へとつながります。この北山雨乞い太鼓は、昭和51年に始まったことを、保存会の臼田廣一さんが教えてくれました。

保存会のはじまりは、昭和40年代頃にさかのぼります。公民館の裏に住んでいた、早矢仕是雄さんという方が、いろんな人に聞き歩いて、「こういう歌」があって、「こういう踊り」があった、ということを、重ねてひとつの形にしていきました。昔、「ふじがね」というところにある、立穴鍾乳洞に行って、雨乞いの神様である「八大竜王様」を祀る山がみえるところで、雨乞いのお願いをしたことがわかりました。近くに暮らしていた山本さんも「おれんたーも、ふじがね行って、けつたたいて踊ったわ」と話されたそうです。そうした早矢仕さんの尽力により生まれた保存会は、昭和51年の11月3日に最初の公演を行いました。

神崎の公民館には、当時の様子がわかる1枚の写真が壁に飾ってあります。そのときのメンバーが中心となり、北山雨乞い太鼓と雨乞い踊りを守っています。「ちょうどその頃は雨乞いの歌を歌ってみえる高齢の男性がいて、当時80歳ぐらいだったかな?本当にいい声だった」と、臼田さんは昔を振り返ります。

これから先もずっとつなげたい

あるとき、雨乞いの祈願石を大学の地学部の学生さんが見つけ、「八大竜王様」を祀った山は、神崎から車で30分ぐらいの美山地域の乾地区との境界あたり、神崎から北東側にあることがわかりました。神崎の山の奥には広い台地があって(今は植林されています)、こちら側が南の端。その台地の北のはずれまで、昔は「出づくり」と言って開墾して百姓をやっていたそうです。

その北のはずれに立穴鍾乳洞があり、お寺の和尚さんに河原から拾ってきた石に「八大竜王様雨をください」という祈願の文字を書いてもらい、その石とお水を納めて、みんなで鐘や笛、太鼓などを鳴らしながら、大きなかがり火をたいて、みの笠をかぶり、「けつたたき踊り」をしながら、雨乞いの祈願をします。「けつたたき踊り」は、太鼓や笛や鐘を持たないものは自分のお尻をたたいて踊る、道具を持たないものもいっしょに雨が降る日を願って踊る、そんな意味なのではないでしょうか。

みの笠をかぶり踊る仕草は田植えしている姿にも似ています。雨の恵みを祈願する大切な、雨乞い太鼓と雨乞い踊りなのです。最近では若手である西垣さん家族が、笛を覚えてたり、山口さんとその友人が、太鼓を始めてくれたりしたことで、これから先につながっていってくれるのではないかと、臼田さんは感じているそうです。雨の恵みへの祈願だけではなく、これからも先にずっとつながることへの願いも重ねて、今年も北山ふるさと祭りがおこなわれます。

※2024年8月YAMAGATA BASE HPからの移管分